静岡地方裁判所沼津支部 昭和32年(ワ)189号 判決 1960年9月29日
原告 国
訴訟代理人 舘忠彦 外六名
被告 岡本市郎平
主文
被告は原告に対し、別紙目録第一記載の物件につき、昭和十七年十月二十五日、同第二記載の物件につき、昭和十八年四月八日成立の売買による所有権移転登記手続をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、
その請求原因として、
一、原告は被告より、
(1) 昭和一七年一〇月二五日被告所有に属する別紙目録第一記載の物件を代金三、四四七円五〇銭で買い受け
(2) 昭和一八年四月八日被告の所有に属する同目録第二記載の物件を代金三、七一二円五〇銭で買い受け
もつて原告は右各物件の所有権を取得し、(1) の代金は昭和一八年一二月二八日、(2) の代金は昭和一九年二月一六日にそれぞれ支払を了した。
しかるに被告は、右物件につき所有権移転登記手続を経由しない。
二、よつて、被告に対し右物件につき売買を原因とする所有権移転登記手続をなすべき旨の判決を求めるため本訴請求に及んだと陳述し、
被告の抗弁に対する答弁として、
被告の抗弁事実中、同主張の日同主張の如き契約解除の意思表示を記載した内容証明郵便が原告に到達したことは認めるがその余の主張事実は凡て争う。
仮りに本件物件に対する売買代金が未だ支払われていないとしても、(1) の債権は、契約成立の日の翌日である昭和一七年一〇月二六日より起算し、一〇ヶ年を経過する昭和二七年一〇月二五日の経過、(2) の債権は契約成立の日の翌日である昭和一八年四月九日より起算し一〇ヶ年経過する昭和二八年四月八日の経過と共に、消滅時効の完成によりいずれも消滅したから、原告は本訴に於て右時効を採用する。よつて、原告の右代金債務の遅滞を原因とする契約解除の主張は理由がない
と述べた、
<立証 省略>、
被告訴訟代理人は、原告の請求はこれを棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、
答弁として
原告主張事実中、別紙目録第一、第二記載の物件につき、原告と被告間に原告主張の日、同主張の如き売買契約が成立したことは認めるが、その余の主張事実は争う。
抗弁として、
(一) 被告は後記の如く事情変更に基き本件契約の解除権を取得し、昭和三〇年四月二日付内容証明郵便をもつて、原告に対し、本件契約を解除する旨の意思表示をなし、該郵便は、同月三日原告に到達したから同日本件契約は解除された。
しかして解除権発生の原因たる事情変更は次のとおりである。即ち、本件契約は、大東亜戦争の最中に成立したものであるが、その後敗戦となり世情は混乱したため長期間に亘つて、右契約の履行は互になし得なかつたのである。この間に地価は驚くべき程に騰貴したのに反し貨弊価値は低下し、昭和三〇年春頃の本件土地の価格は契約当時の一、〇〇〇倍に達し、貨弊価値はこれに準じて低下したのである。かかる状勢下において、被告が今日本件土地の代金として、契約当時の代金の支払を受けねばならないとすれば、被告は自己の責によらないで、事情変更による損害を一人で負担する結果となり、衡平の観念に反することとなる。
よつて、右事情変更は、解除権発生の原因たる事情変更に該当するのである。
(二) 右主張が理由ないものとして、被告は昭和三〇年三月下旬頃東海財務局静岡財務部沼津出張所長鈴木茂夫に対し、本件土地代金を受領していない旨陳情したが、右陳情は、右代金の支払催告に該当するところ、原告はその後二ヶ年を過ぎるも支払をなさないから原告は本訴に於て、代金不払を理由として、本件契約を解除する旨の意思表示をなし、該意思表示は昭和三二年一〇月二日原告に到達したから、同日本件契約は解除された。よつて、原告の請求は理由がない。
(三) 右主張が理由がないとしても、原告の本訴請求は権利の濫用であつて許されない。
即ち、原告は、昭和一七年及び一八年に被告の本件土地を買上げてその引渡しを受けながら、代金の支払をなさず今日に及んでいるのに拘らず、原告は土地代金を支払つたと、虚偽の主張をして、本訴請求をなすものである。これは正しく信義則に反する権利の行使であつて、その目的を越脱するものであるから、権利の濫用として許されない。
と陳述し、
<立証 省略>
理由
原告が被告より同人所有の別紙目録第一、第二記載の物件を、原告主張の日同主張の代金で買い受けたことは当事者間に争がない。よつて、被告の抗弁(一)(二)につき判断する。
右抗弁は、本件売買代金が未払であることを前提とするものであるところ、原告は被告に対し既に支払済みであると争うので先ずこの点につき考えるに、成立に争のない甲第一、二号証、証人三堀繁雄、同石井源治、同大嶽広作の証言により成立が認められる甲第三号証の一、証人三堀繁雄、同石井源治、同杉本正文の証言により成立が認められる同第四号証の三、証人三堀繁雄、同石井源治、同田代万作の証言により成立が認められる同第五号証の三、証人三堀繁雄、同石井源治、同阪上輝雄、同近藤清志、同杉本正文、同河野太一、同田代万作の各証言並に被告本人尋問の結果(但し被告本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く)を綜合すると、次の事実が認められる。
(1) 本件物件は、横須賀海軍施設部が海軍省の沼津地区特攻基地用地として、買受手続を取つたものであるところ、その手続は、先ず、同施設部用地係に於て、各地主と売買契約を締結して、土地売渡証書を徴するや、右土地の引渡しを受けて、右売渡書に土地領収済みの印と日附印とを押捺し、次いで、用地係は右土地売渡証に支払伝票を添えて、同施設部給与係に廻し、同係は横浜興信銀行横須賀支店に支払い資金を一括送金し、かつ個人別支払明細書を送付して、個人別送金小切手の作成方を依頼し、同銀行は、右個人別支払明細書に基き、各個人別に送金小切手を作成した上、これを、右施設部給与係に送付し、給与係は右小切手を各個人に発送手続を取ると同時に土地売渡証の表面右下部に小切手発送の日附印及び係員の印とを押捺した上用地係に右土地売渡証を返還していたこと。
(2) 買上地の所有権移転登記は、代金支払と引換に必要書類を売主より徴していたが、代金支払が遅れ勝ちで、売主より催促などもあつたので、昭和一八年頃より、登記前に代金を支払うこととし、同施設部に給与係とは別個に支金前後官吏を配置し、その後は前記送金手続は同官吏が担当していたこと。
(3) 本件土地は前記の如く特攻基地建設用地として、他の私有地と共に、別紙目録第一記載の土地については、昭和一七年一〇月二五日同目録第二記載の土地については、昭和一八年四月八日に買受けたものであるが、別紙目録第一記載の土地売渡証の表面右下部には、「昭和拾八年拾弐月廿八日係員寺村」と日附印と係員の印とが押捺され、同目録第二記載の土地売渡証には、同領置に、「昭和拾九年弐月拾六日係員寺村」と日附印と係員の印とが押捺されていること。
(4) また本件土地と同時に買上げた他の売主数名との間に作成された土地売渡証にも、それぞれ同様の形式の日附印並に係員の印とが押捺されているが、右売主等はその頃右代金の受領を認めて争わないこと。
(5) 被告の右土地売渡証にはいずれも被告の住所地として、静岡県沼津市三枚橋平町壱〇六番地の壱壱と記載されているが、被告はその後右住居を変更した事実がなく、右名宛に送金小切手等を郵送すれば、通常被告に送達されるものと推認されるところ右推認を妨ぐべき特段の事由が認められないこと。
(6) 別紙目録第一記載の土地の売渡証に記載されている送金手続完了の日附印は昭和一八年一二月二八日であり同目録第二記載の土地のそれに記載されている日附印は昭和一九年二月一六日であるところ、右日附の前である昭和一八年五月頃に、被告が別紙目録第一記載の土地代金につき催促した形跡が認められるが右日附以降昭和三〇年三月下旬頃まで、被告が右代金を原告に請求した事実が認められないこと。
以上の事実を綜合すると、本件土地代金は、原告主張の日既に支払済みであると推認するのが相当である。
被告本人尋問の供述中には、右認定に反する供述があるが他に右供述を裏付ける証拠はなく、右供述はたやすく措信しがたく他に前記認定を覆すべき証拠がない。
よつて、代金不払を前提とする被告の(一)(二)の抗弁は理由がない。よつて進んで、抗弁(三)につき判断するに、前掲証拠によると本件物件が売買契約成立当時原告に引渡され爾来原告に於て、使用占有中であることが認められる。しかして、右代金が原告主張の日に既に支払済みであること前段認定のとおりであるから、原告が売主たる被告に対し右売買契約に基き本件物件の所有権移転登記を求めることは、権利の正当な行使であつて、とうてい権利の濫用とし得ないから、右抗弁もまた理由がない。
よつて、本件土地の売主たる被告は、買主たる原告に対し、本件物件につき前記売買を原因とする所有権移転登記手続を経由すべき義務があるものというべきである。
されば被告に対し、右登記義務の履行を求める本訴請求は理由があるから正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の・負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 野口仲治)